岡山地方裁判所 昭和58年(ワ)39号 判決 1985年10月15日
原告
西田満恵
ほか三名
被告
青山初子
ほか一名
主文
一 被告らは、連帯して、
1 原告西田満恵に対し、二三万九八四三円及び内金二〇万九八四三円に対する昭和五八年二月一七日から完済に至るまで年五分の割合による金員を支払え。
2 原告西田恵子及び原告西田正樹に対し、それぞれ一一万九九二一円及び内金一〇万四九二一円に対する昭和五八年二月一七日から完済に至るまで年五分の割合による金員を支払え。
二 原告らのその余の請求を棄却する。
三 訴訟費用は、これを一〇分し、その九を原告らの負担とし、その一を被告らの負担とする
四 この判決の一項は仮に執行することができる。
事実
第一当事者の求めた裁判
一 請求の趣旨
1 被告らは、連帯して、
(一) 原告西田満恵に対し、九二〇万一六四五円及び内金八三九万一六四五円に対する昭和五八年二月一七日から完済に至るまで年五分の割合による金員を支払え。
(二) 原告西田恵子及び西田正樹に対し、それぞれ四六〇万〇八二二円及び内金四一九万五八二二円に対する昭和五八年二月一七日から完済に至るまで年五分の割合による金員を支払え。
2 訴訟費用は被告らの負担とする。
3 仮執行の宣言
二 請求の趣旨に対する答弁
1 原告らの請求を棄却する。
2 訴訟費用は原告らの負担とする。
3 予備的に、仮執行免脱宣言
第二当事者の主張
一 請求原因
1 原告らの地位
西田弥平治(以下「弥平治」という。)は昭和五七年四月二七日に死亡し、原告満恵はその妻、原告恵子及び原告正樹はその子である。
2 事故の発生
弥平治は次の事故によつて死亡した。
(一) 発生日時 昭和五六年八月二六日午後二時頃
(二) 発生地 津山市山下二八番二六号先路上
(三) 車両
(1) 甲車 普通貨物自動車(岡四四ふ九六七一)
運転者 被告青山
(2) 乙車 原動付自転車(津山市は四四八)
運転者 弥平治
(四) 事故の態様 停車していた甲車のドアに乙車が接触
(五) 結果 弥平治は、右事故によつて、頭部打撲症、頭蓋骨々折の傷害を受け、事故当日から昭和五六年九月一八日まで国立療養所津山病院(以下「津山病院」という。)に入院し、それ以降同病院と西下内科医院で通院治療を受けていたが、昭和五七年四月一〇日呼吸困難となり、同月一七日西下病院に入院したが、同二七日午前一一時二五分頃、気管支喘息のため死亡した。
3 責任
(一) 被告青山
同被告は、甲車のドアを開ける際、後方の確認を怠つた過失がある。
(二) 被告有限会社野口商店(以下「被告会社」という)
同被告は、甲車を所有して、これを運行の用に供していた。
(三) したがつて、被告青山は民法七〇九条により、また被告会社は自賠法三条により、本件事故によつて弥平治及び原告に生じた損害を賠償する責任がある。
4 損害
(一) 弥平治分
(1) 治療関係費 一〇四万四二九〇円
a 治療費 四九万三〇二〇円
内訳 国立療養所津山病院 入院分(三八万五三五〇円)
通院分(一〇万七六七〇円)
b 付添費 五二万七二七〇円
イ 原告恵子が一〇日間休業し、また原告正樹が一五日間休業し、それぞれ弥平治に付添つた。
その付添い費用は各原告の休業による給与等の減少分と同額である。
原告恵子分 二五万四〇〇〇円
内訳 給与 一四万四〇〇〇円
ボーナス 五万〇〇〇〇円
交通費 六万〇〇〇〇円
原告正樹分 二二万七〇〇〇円
内訳 給与 一三万四〇〇〇円
ボーナス 六万三〇〇〇円
交通費 三万〇〇〇〇円
ロ 職業付添人実費(四万六二七〇円)
昭和五六年九月七日から一三日までの間
c 入院雑費 二万四〇〇〇円
一日一〇〇〇円の割合で、入院二四日分
(2) 休業損害 一三九万九〇〇〇円
弥平治は本件事故当時自営業をなし、昭和五五年度の年間収入は二〇九万九〇〇〇円であつた。しかしながら、原告は右事故によつて、事故当日から死亡した昭和五七年四月二七日まで八か月間に亘り、休業を余儀なく強いられた。
したがつて、弥平治は、次式のとおり、右期間に得るべき収入一三九万九〇〇〇円(千円未満切捨て)の休業損害を受けた。
2,099,000÷12=1,399,333
(3) 逸失利益 三七四万〇〇〇〇円
弥平治は死亡当時満七三歳の男子であつた。
収入 その得るべき年収入は、前記のとおり二〇九万九〇〇〇円である。
稼働可能年数 四年
控除すべき生活費 五〇%
中間利息控除 新ホフマン係数 三・五六四
したがつて、弥平治の逸失利益の現価は次式のとおり三七四万円である。
2,099,000×(1-0.5)×3.564=3,740,418
(4) 慰藉料 一〇〇〇万〇〇〇〇円
(5) 原告らの相続
原告らは弥平治の相続人として、同人に生じた前記損害賠償金一六一八万三二九〇円について、その法定相続分(原告満恵につき二分の一、その余の原告ら各四分の一)に従い、原告満恵が八〇九万一六四五円、原告恵子及び原告正樹が各四〇四万五八二二円を相続した。
(二) 原告ら分
(1) 葬儀費 六〇万〇〇〇〇円
弥平治の葬儀費として六〇万円を、原告らが相続分に従つて出捐した。
原告満恵につき 三〇万円
原告恵子及び原告正樹につき 一五万円ずつ
(2) 弁護士費用 一九二万〇〇〇〇円
原告満恵につき 八一万円
原告恵子及び原告正樹につき 四〇万五〇〇〇円ずつ
4 よつて、被告らに対して、連帯して本件損害賠償金として、原告満恵は九二〇万一六四五円、原告恵子及び原告正樹は四六〇万〇八二二円ずつ及びこれらから前記弁護士費用を除く分に対する本件事故の日以降である昭和五八年二月一七日(被告らに対する本件訴状の最終送達日の翌日)から完済に至るまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払をそれぞれ求める。
二 請求原因に対する認否
1 請求原因1項の事実のうち、弥平治がその主張の日に死亡した点は認めるが、原告らの身分関係の点は知らない。
2 同2項の事実のうち、(一)ないし(四)の点は認め、(五)の点は弥平治が本件事故によつて頭部打撲症、頭蓋骨々折などの傷害を受けたこと、及び同人が昭和五七年四月一七日に西下病院に入院し、同月二七日に気管支喘息で死亡したことは認めるが、その余は知らない。
本件事故と弥平治の死亡とは相当因果関係がない。すなわち、弥平治は本件事故によつて原告主張の傷害を受けたが、同人が昭和五七年四月一七日に通院先の西下病院に入院した際の診断名は気管支喘息、肺性心、肝障碍の疑いであり、また入院の翌日には慢性胃炎、栄養障碍、肺癌の疑い、気管支肺炎とも診断され、それ以降その治療を受けていたものであり、かつ直接の死因は気管支喘息であるから、本件事故による受傷の結果死亡したものではなく、それとは別個の病気によるものである。
(死亡との因果関係についての原告の反論)
<1> 弥平治は本件事故による受傷で津山病院で入院治療を受けたが、その入院中から左側頭部耳介後部軽座腫脹と、内出血があり、かつ不眠、頭痛、腰痛、頸椎の腫脹からの咽頭痛、燕下困難という症状を呈し、また頸部痛も愁訴していた。なお同人が昭和五六年九月一八日に同病院を退院したのは、右症状が軽快したのではなく、無断外泊など患者自身の病的行動があり、そのために退院となつたものである。
<2> 本件事故による受傷によつて右症状が原因して、弥平治は体の変調をきたし、昭和五七年一月頃から痰が度々溜るため、藤田耳鼻科で咽頭内を切開し、同年二月頃に喘鳴、運動時呼吸困難の症状が発生したため、西下病院で治療を受けたが、同年四月二七日に死亡したものである。
<3> 本件事故後の弥平治の一連の経過症状からすれば、右事故に起因する受傷によつて同人はその症状を悪化させた結果死亡するに至つたものであり、本件事故と同人の死亡とは因果関係がある。
3 同2項の事実のうち、(一)の点は、本件事故につき被告青山は無過失なので、これを否認し、(二)の点は認めるが、その責任は争う。
三 抗弁
1 自賠法三条但書の免責(被告会社単独)
(一) 弥平治の一方的過失
(1) 本件事故は、被告青山が被告会社の代表者を待つ僅かの間、本件事故現場の道路側端に停車していた甲車の右側ドアを車体から約二〇cm開いていた際、乙車を運転していた弥平治が甲車の右側に十分に通行可能な幅員があり、かつその部分を通行を防げる事情もなかつたにもかかわらず、停車している甲車に接近し、そのために甲車の僅かに開いている右側ドアに接触したために発生したものである。
(2) 本件事故の原因は、乙車を運転していた弥平治が甲車の右側ドアの開扉状態を容易に認識できる状態にあつたにもかかわらず、前方不注視によつてこれを見落した結果によるもので、他方被告青山には、甲車の開扉状態を認識せずに、その右側々方を車体へ二〇cm以内に接近して通過する車両があることまで予見し、右後方に対する安全を確認すべき注意義務はない。
(3) したがつて、本件事故については被告青山に過失はなく、弥平治の一方的過失によつて発生したものである。
(二) 被告会社は運行供用者としての過失はない。
(三) 本件事故と甲車の機能及び構造とは関係ない。
(四) したがつて、被告会社は自賠法三条但書によつて免責される。
2 過失相殺(共通)
前記のとおり弥平治にも本件事故につき過失があるので、それによる損害は過失相殺されるべきものである。
3 損益相殺(共通)
弥平治に対し自賠責保険から四三万一八七〇円がその損害填補として支払われている。
三 抗弁に対する認否
1 抗弁1項につき、被告青山に過失がないことは否認する。
本件事故の態様から明らかなとおり、弥平治が乙車を運転して甲車の右側々方を通過しようとした際、この接近に気付かなかつた被告青山が甲車の右側ドアを急に開いたため、そのドアが乙車のハンドルの左ブレーキと接触し、その結果同人がその衝撃で転倒して本件事故が発生したものであるから、同被告には過失がある。
2 同2項の事実は争う。
3 同3項の事実は認める。
第三証拠
本件記録中の証拠に関する目録記載のとおりであるから、これを引用する。
理由
一 原告らの地位
請求原因1項の事実は、当事者間に争いのない事実と、成立に争いのない甲第一号証によつて、これを認めることができる。
二 本件事故の発生
1 請求原因2項の事実のうち、弥平治が本件事故の受傷によつて死亡した点を除いて、当事者間に争いがない。
2 弥平治の死亡と本件事故の因果関係の存否について
(一) 当事者間に争いのない事実と、各成立に争いのない甲第三号証、第八号証、第九号証、乙第一号証の一ないし五、第三号証の一ないし六、第四号証の一ないし四、証人西下秀男の証言、原告西田満恵本人尋問の結果によれば、以下の事実が認められ、他にこの認定を左右するに足りる証拠はない。
すなわち、<1> 弥平治は明治四二年四月二五日生れで、本件事故当時満七二歳であつた。<2> 弥平治は、自己の運転する乙車がその走行中に、停車していた甲車の開扉した右側ドアーと接触した衡撃によつて路上に投出され、その結果頭部打撲症、頭蓋骨々折、脳挫傷の傷害を受け、事故当日の昭和五六年八月二六日から同年九月一八日まで津山病院に入院して治療を受けた。<3> 右入院治療の結果、本件事故による右受傷自体は軽快し、愁訴していた頭部痛や前額部痛もまた次第に改善方向に向かつたものの、右頭部の受傷による見当識障害が顕著となつた。<4> ところが、右障害が原因となつて無断外出や外泊を弥平治が度々とするようになつたため退院となり、その後昭和五七年二月頃まで同病院へ月に二程度通院した。<5> 通院時に弥平治に残存していた症状は記憶力障害、睡眠症害、頭重などであつたが、日常生活するうえにはさほどの不自由はなかつた。<6> 昭和五七年二月になり、弥平治は咳、喘鳴、運動時呼吸困難な症状を呈し、痰が溜つたため、その頃藤田耳鼻科で咽頭内切開で膿を出したが、その後もその症状が軽快せず、西下内科医院へ通院していたが、呼吸困難と心悸亢進が強まり、同年四月一〇日に西下病院に入院し、その症状から気管支喘息と診断され、入院治療を受けたが、同月二七日に喘息発作による窒息によつて死亡した。
(二) 右認定した事実に、前掲証人西下の証言を併せれば、弥平治の本件事故による受傷によつて気管支喘息を直接生じさせたと認めることはできず、また津山病院のカルテ(前掲甲第九号証)からも、これを窺わすものはない。
ところで、原告は、本件事故によつて弥平治が受傷した結果、その全身状態を悪化させ、これが気管支喘息を増悪させたものであると主張するが、前記認定した弥平治の治療経過や退院後の状況からすると、弥平治が本件事故による受傷によつて、退院後もその全身状態を悪化させたとは認め難いところであり、また退院後六か月余も経過した後に弥平治は咳、喘鳴、運動時呼吸困難な症状を呈していることから見ても、本件事故の受傷の結果気管支喘息を誘発したとも、俄にいい難いものである。
(三) 右認定説示したことからすると、弥平治が本件事故によつて受傷したことに起因して、同人に気管支喘息を生じさせ、あるいはこれを増悪させたという関係を認めることができないので、本件事故と気管支喘息を原因とする弥平治の死亡との間における相当因果関係を肯定できない。
三 被告らの責任
1 本件事故の原因について
(一) 各成立に争いのない甲第六号証、第八号証、乙第五号証、第七号証、第八号証のないし八によれば、次の事実が認められ、他に右認定に反する証拠はない。
<1> 本件事故現場付近は両側に商店が建ち並ぶ市街地で、道路が東西に走り、その東から西にかけて南側の側端のみが鍵型になつているため、その幅員も東側にある交差点から西に一五mの地点までは五mあるが、その先は三・五mと狭くなつている。本件事故当時甲車は幅員五mの道路の幅員が変る鍵型になつている部分に西に向けて停車していた。
<2> 被告青山は、甲車の右側運転席(北側)に座り、すぐ南側の建物からでてくる雇主を同乗させるため、エンジンを切つて待つていたが、姿が見えないので迎えにいこうかと考え、右後方を一瞥して後方から接近する車両のないことを確認したうえ、右手を運転席のドアの窓辺りにかけ、ドアの先端外側が車体から約二〇cm離れる程度に開けたが、下車をすぐにしないで、そのままの状態で運転席に座つて、後方の安全を確認することなく、南側(左手)建物の方を見たりして、乙車が接触するまでの一、二分間右ドアを開けたままにしておいた。甲車の運転席側ドアを二〇cm開けた状態では、道路南端からそのドア先端までは二mである。
<3> 弥平治は乙車(原動付自転車、五〇ccカブ)を運転し、甲車の約一四・五m後方で南北に交差する道路を北から進行し、交差点を右折して東から西に向けて進行中、その前方に停車している甲車の開扉状態に気がつかず、そのすぐ右側方を通過しようとしたため、乙車の左ハンドルについている左ブレーキレバー端(先端から四cm付近)が甲車の開扉している右側ドアと接触し、そのため乙車もろとも右前方五、六m付近に転倒した。
<4> ところで、弥平治は前掲甲第八号証(検察官に対する供述調書)で、「甲車の右側方を通過した際、被告青山がいきなり甲車の運転席ドアを開けたため、本件事故が発生した。」旨述べるが、前掲乙第五号証及び第七号証(本件事故に関する第一審及び第二審刑事判決)で説示されていることからすれば、この点の弥平治の供述を俄に措信し難く、他に本件においてこれを肯認できるような新たな証拠もない。
また、原告は、乙車が甲車に接触後道路前方右側に進行して転倒したことをとらえ、その力学的作用から、乙車を右方向に進行させる外力が加わらなければならない筈であるから、弥平治の供述するとおり乙車が甲車の側方を通過する際にそのドアが急に開かれた証左であると主張する。しかしながら、乙車が道路右側に転倒した事実だけをもつて、原告の主張するような力学的作用を肯定できるかは疑問であり、かつ右認定した乙車の接触した位置が左ブレーキレバーの先端付近であることからすれば、接触した際に運転手が咄嗟にそのハンドルを右に切れば右側に進んで転倒する可能性も考えられ、外力が加わらなければ絶対に起こりえない事象でもないことが容易に考えられるところであるから、原告の右主張は俄に賛成できない。
(二) 右認定した事実によれば、弥平治の運転する乙車の進路前方に停車している甲車の車道側(右側)ドアを車体から約二〇cm開いた状態にあり、乙車が甲車の側方を通過する際にいまだその右側に約三mもの通行幅が残されており、そのすぐ脇に接近して通行しなければならない程の状況でもなかつたから、本件事故は、弥平治が前方の甲車の状態を現認していれば本件事故を回避することが充分にできたにも拘らず、この前方注視を怠つたことに基因するものであり、弥平治の本件事故の発生についての過失はこれを否定することができない。
しかし他方、被告青山も停車していた甲車の車道側ドアを約二〇cm開け、そのままの半開き状態を一、二分間継続したものであるから、かかる場合開扉する際に後方の安全を確認しただけでは足りず、速やかにその開扉状態を解消すべきものであり、この状態を継続するには、その側方を通過する車両がありうることを予想し、絶えずその側方を通過する車両の有無及び動静に注意し、その側方の安全を確保する義務があり、同被告にもこの点で本件事故発生について過失があるものと認めることができる。
2 被告青山の責任について
右認定説示したとおり、被告青山にも本件事故の発生について過失がある。
3 被告会社の責任について
(一) 被告会社は甲車を所有し、これを運行の用に供していたことは、当事者間に争いがない。
(二) 抗弁1項(自賠法三条但書の免責)の点は、右のとおり被告青山に本件事故の発生につき過失があると認められるので、その余の点を判断するまでもなく、理由がない。
4 以上のとおりであるから、被告青山は民法七〇九条により、被告会社は自賠法三条により、弥平治が本件事故によつて傷害を受けた限度で、弥平治及び原告らに生じた損害を賠償する責任がある。
四 損害
1 弥平治分について
(一) 治療関係費 五八万九〇二〇円
(1) 治療費 四九万三〇二〇円
前記二項の(一)で認定した治療経過、前掲甲第九号証及び弁論の全趣旨を併せれば、弥平治は本件事故による受傷によつて津山病院に入通院しその治療を受け、その治療に応じた費用を同病院に出捐したことが認めることができる。ところで、この入通院で要した治療費の具体的明細を明示した証拠を原告は提出していないが、その受傷程度や治療内容に徴すれば、原告の主張する入院治療費三八万五三五〇円、通院治療費一〇万七六七〇円の合計四九万三〇二〇円を少なくとも要したものと認めるのが相当であり、この点につき特段に被告の反証もなんら存しない。
(2) 入院付添費 七万二〇〇〇円
前認定した弥平治の本件事故の受傷内容に、原告西田満恵本人尋問の結果を併せれば、弥平治が津山病院に入院していた二四日間に亘り付添看護を要し、親族がその期間付添つたことが認められるが、職業付添人が付添つたことはこれを認めるに足りる証拠はない。またその親族の付添は一日に一人で、費用を一日当り三〇〇〇円と認めるのが相当であり、それ以上を超える人数や費用は本件事故と相当因果関係のある損害とはいえない。
したがつて、弥平治の入院付添費用は合計七万二〇〇〇円(三〇〇〇円×二四日)である。
(3) 入院雑費 二万四〇〇〇円
前認定したとおり、弥平治が津山病院に入院した二四日間に亘り、入院雑費として一日一〇〇〇円の割合による合計二万四〇〇〇円を要したものと認めるのが相当である。
(二) 休業損害 一〇四万九五〇〇円
前掲甲第八号証、原告西田満恵本人尋問の結果に、公刊物である昭和五六年(本件事故時)の賃金サンセスを併せれば、弥平治は本件事故当時満七二歳であつたが、洋品類の販売を永年に亘り営業し、津山市やその周辺の郡部の官公庁や病院などを販売先とする移動販売をし、本件事故当時原告の主張する年間二〇九万九〇〇〇円を下回らない収入を得ていたことがみとめられ、また前認定の弥平治の受傷内容と右原告本人尋問の結果によれば、弥平治は本件事故の受傷によつてその当日の昭和五六年八月二六日以降右仕事の休業を余儀なく強いられたことが認められる。
ところで、弥平治の本件事故の受傷による休業期間としては、前認定した治療経過からすると、津山病院に通院していた昭和五七年二月までは、本件事故で受傷した結果であると認めるのが相当であるが、それ以降は弥平治の気管支喘息による症状が発現し、もつぱらこれによる治療をしていたものであり、この気管支喘息は前認定のとおり、本件事故と相当因果関係を認めることができないので、この間の休業もまた本件事故によつて生じたものということができないので、本件事故による弥平治の休業期間は本件事故当日から六か月であると認めるのが相当である。
したがつて、弥平治の本件事故による受傷による休業損害は、次式のとおり一〇四万九五〇〇円である。
2,099,000÷12×6=1,049,500
(三) 逸失利益
前認定したとおり、弥平治の死亡は本件事故と相当因果関係があるとは認められないので、原告主張の弥平治の死亡による逸失利益の点は理由がない。
(四) 慰藉料 一二〇万〇〇〇〇円
前記認定した弥平治の受傷内容、症状、特に頭部の傷害によつて記憶障害が発生していること、その治療経過など諸般の事情を考え併せると、弥平治の本件事故による受傷による精神的苦痛に対する慰藉料は一二〇万円が相当である。
(五) 以上によれば、本件事故によつて弥平治に生じた損害は合計二八三万八五二〇円となる。
2 原告ら分
原告らは弥平治の葬儀費を本件事故による損害として請求するが、弥平治の死亡は本件事故と相当因果関係があるとは認められないことは前記したとおりであるから、この点は理由がない。
五 賠償額
1 過失相殺(抗弁2項)
前記三項の1で認定した本件事故の原因からすると、本件事故は弥平治の過失と被告青山の過失が競合して発生したものであるが、その過失割合は弥平治に七〇%、被告青山に三〇%の割合による過失があつたものと認めるのが相当である。
そうすると、本件事故について弥平治にも七〇%相当の過失があるので、これを過失相殺すれば、弥平治の被告らに損害賠償として請求できる金額は八五万一五五六円である。
2 損益相殺(抗弁3項)
弥平治が生前本件事故の損害賠償として、自賠責保険から四三万一八七〇円の支払を受けていることは、当事者間に争いがない。
したがつて、これを弥平治の右損害賠償債権から控除すれば、その残額は四一万九六八六円となる。
3 相続
前記一項で認定した原告らの地位からすると、弥平治の死亡によつてその取得した損害賠償請求権残額は、法定相続分に従つて、原告満恵がその二分の一に相当する二〇万九八四三円、原告恵子及び原告正樹が各その四分の一に相当する一〇万四九二一円(円未満切捨て)ずつを相続したものということができる。
4 弁護士費用
弁論の全趣旨によれば、原告らは被告らが損害賠償金を任意に履行しなかつたので、やむなく弁護士たる本件原告ら代理人に本訴の提起と追行を委任し、その手算料及び報酬の支払を約したことが認められる。
そして、本件事故の内容、審理経過、認容額に照らすと、原告らが被告らに負担せしめ得る弁護士費用相当分は、原告満恵につき三万円、原告恵子及び原告正樹につき各一万五〇〇〇円ずつであると認められる。
5 賠償額
以上のことからすると、被告らは、本件事故による損害賠償として、原告満恵に対して二三万九八四三円、原告恵子及び原告正樹に対して各一一万九九二一円ずつの支払義務がある。
六 結論
よつて、原告らの本訴請求は、主文一項で認容した限度で理由があるので、これを認容し、その余は理由がないので、これを棄却し、訴訟費用の負担については民訴法八九条、九二条を、仮執行の宣言については同法一九六条を適用して、主文のとおり判決する。なお、仮執行免脱の申立は、その必要がないものと認め、これを却下する。
(裁判官 安藤宗之)